東急SI46,SI47
1991年度車のU-RJ。2台とも、2003年に高津から下馬に移籍した。47号車は除籍の数カ月前、新羽へ移籍したが、すぐに下馬に復帰。2005年9月、両者とも除籍になった。
下馬の在籍期間はわずか2年だが、私は下馬時代の2台をほぼ毎日見ていた。乗車機会も多かった。写真も多い。間違いなく私にとって馴染みの、大事な車両だと思う。除籍作業を終えた2台が、何とも寂しげな表情をしていたのは忘れられない。
ここで、手元のスナップ写真からいくらか選び、往時をしのぶことにする。
東急バスSI46:品川200か929
やはり一番しっくりくるのは、黒09系統充当シーン。野沢龍雲寺へ向かって下馬通りをゆっくりと進む。当時の黒09系統は、余程のことが無い限り中型車だった。後に黒色の方向幕が用意されたが、SI46,47が装備するには間に合わなかった。今では循環表示が無くなってしまった。
黒09系統においては、野沢通りの風景も欠かせない。旧オリンピック道路とも呼ばれるこの道は、車道も歩道も狭い。写真の車は目黒駅行き、もう少しで蛇崩の交差点だ。冬はすぐに日陰になる。顔に日差しが当たるのを待って、シャッターを切る。
バス乗り場が東横線ガード下から移動して、まだ数年の中目黒駅前。撮影の2004年には、みなとみらい線が開業したが、今では副都心線、西武、東武線が東横線と直通している。駅前の様子もずいぶん変わった。
午後9時半ごろ、発車を待つ車内にて一枚。1991年度車は、最後まで車内表示器が無かった。運賃箱も、往年の水色。前方に見えるバス停は、東98系統の0番乗り場である。2018年9月から、東98系統の乗り場は200m後方の目黒駅東口に変更となり、黒09系統が0番乗り場から発車するようになった。
午後10時ごろ、雨の中発車を待つ、東京医療センター行最終バス。ぼんやりと赤く灯った行先方向幕が、何とも言えずよかった。車内の座席は、ほぼ全部埋まっているようだ。ここ23番乗り場は、渋谷駅西口BTの南端である。
東急バスSI47:品川200か969
一見そっくりなSI46,47。しかしよく見比べると、バンパーのトワイライト運動ステッカーの有無や、トランセマークの位置の違いなど、実は異なるポイントが複数見つかる。
これは貴重な渋33系統に充当中のSI47の雄姿。朝の三宿通りを急ぐ。多摩川駅からのロングランもいよいよ終盤である。渋33系統は、その後淡島に移管され、2018年2月に廃止されている。
朝、渋谷から入庫するSI47。系統番号の無いシンプルな行先方向幕が好ましい。SI47の背後には、淡島名物A1696あるいはA1697の姿が見える。
東急バスSI47:品川200か1335
2005年7月、最近47号車を見ないなと思っていると、しばらくして新しいナンバー"1335"を付けたSI47を目撃した。新羽に短期間在籍していたようである。
写真は、今は無き車庫内で整備を受ける新生SI47の姿。車庫には頭から突っ込むように駐車されるが、緑道に面した窓はしばしば大きく開いていて、そこから顔を見ることが出来た。
黒06系統に充当されることも、もちろん多かった。明薬通りを進む後ろ姿。間もなく野沢通りとの交差点を越えると坂道だ。これは除籍作業が行われる6日前の記録。もちろん撮影時には、そんなことは知らない。
夜の渋谷駅で発車を待つ、渋34系統のSI47。マーカーランプも点灯して最高だ。青地に黒のストライプ、往年の座席シートがはっきり見える。赤い優先席もよく見える。この1991年度車まで、優先席が一番前まで伸びていて、いわゆるマニア席が無かった。
隣は渋32系統。計4台しかいないエアロスター2代目のツーステ黒サッシ車、A1696とA1697が連なっている。ラッキーだ。この時は気合が入って、ISO50、露光時間は2秒弱、今は無き歩道橋でカメラをしっかり支えての撮影だ。
写真の3日後、除籍となった。
公開日:2020年01月10日