東急A80のこと
1991年度、東急バスには多数のU-MP218Kが新製配置された。その一台が、A80だった。2004年度まで、A78,79とともに、最後まで淡島配置だった。特筆すべきは、A80の廃車時期が他2台に比べて遅かったことだろう。東急バス除籍後は、同期の数台とともに、長岡ナンバーになって新潟県で活躍 [1,2]。元A80の313号車は、少なくとも2018年まで走り続けた。同期移籍組の中では、活動期間が一番長かったと思う。本稿では、その車を振り返る。
東急バスA80:品川22か4555
私が真っ先に思い浮かべるA80の姿は、間違いなく野沢龍雲寺循環、渋32系統への充当シーンだ。満員の乗客をのせて、朝の三宿通りを走る日常風景。
当然、淡島を経由する渋51系統での姿も、しっくりくる。ここでは視点を変えて、B面を示したい。梅雨の6月だが、日差しがまぶしかった。なじみの大江戸東山温泉の広告は、2006年末の閉店により、今は見ることが出来ない。このバス乗り場も、渋谷再開発で失われてしまった。奥にいるのはA1784。
本数が少ない渋52系統でも、時々A80の姿を見ることが出来た。今は循環路線になっており、そこを中型車が走っているのだから、隔世の感に堪えない。やはり渋52系統、写真を見ても乗客の数は少ない。方向幕のライトも点灯して、いい感じだ。
私が一番好きなのはグランド線、渋11系統を走る姿だ。さわやかな緑色の方向幕。ただし撮影当時のグランド線は、原則ノンステップ車両のみによる運行だった。それゆえ、なかなかカメラを持っているときには、A80の充当シーンに出会えなかった。マーカーランプも点灯して、いい表情をしている。
また、渋31系統のイレギュラー運用に就くA80に乗車出来たのは、うれしい記憶だ。当時渋31系統は、1700および1800番台の中型車が担っていた。このような場面に立ち会えたのは、それらの中型車が再生時期を迎えていたためである。
越後柏崎観光バス:長岡200か313
東急バスA80は、2004年度末に除籍された後は、長岡200か313のナンバーをつけて走っているようだった [1,2]。これは2010年正月の撮影である。側面には越後柏崎観光バスの文字。後の北越後観光バスであり、それが2017年に越後交通と合併したのも記憶に新しい。越後交通と異なり、社章が正面に付かないので、東急時代の印象により近い。
背面の広告看板が、東急時代とは異なって小さい。これだけでも、随分印象が違う。
南越後観光バス:長岡200か313
その後、私が313号車に再会したのは、2017年から2018年にかけての年末年始、越後湯沢だった。湯沢駅と岩原スキー場を結ぶシャトルバスとして、最後の活躍をしていた。昼下がり、スキー場からのわずかな客を湯沢駅前で降ろして、湯沢車庫に戻るときの一コマ。シャトルバスのエプロンが付いて正面の塗装が見えなくなると、ますます東急バスに見えてくる。側面方向幕は、小型のものに変更されている。
山の中腹にあるリゾートセンター2で客を乗せて、山麓のリゾートセンター1まで下りてきた313号車を撮る。背面の方向幕が抜かれていて、何ともわびしい。看板広告の形は、東急時代のそれに近い。ただし、乗降中の表示器は撤去。広告の内容が、津南所属であることを伝える。
午後のシャトルバスを観察している限りでは、一緒に走っていた元東急キュービックの406号車がメイン、313号車がサブの印象を得た。406号車が駅とスキー場の間を往復ともに客を乗せて走る一方、313号車は空車で山を上り、帰る客を乗せて山を下りてくるルーチンだった。薄暮のスキー場に、マーカーランプが映える。
この日の313号車シャトルバス運行は、これにて終了。満員の乗客が、次々と降りてくる。後方車両のヘッドライトに照らされて、ボディー側面の痛みが一層際立つ。この日の方向幕は、真っ白だった。
参考文献
- Club-SHINKO>200ナンバー調査隊>長岡200か301~400
- HMネット~バス画像のページ~>中部・甲信越地方>南越後観光バス>南越後観光(移籍)>[南越後観光バス]長岡200か・313
公開日:2019年09月10日